千種町千草の商店街の一角に宝篋印塔が建っています。地元では、教信上人の胴塚と呼び習わしており、今日もなお手厚くまつられています。
教信上人は、『今昔物語』によると平安時代初期の人で、山陽道賀古の駅家(うまや、現在の加古川市野口町所在の古大内遺跡)の北に流れ着き、日頃より口称念仏を唱え肉食妻帯した僧として描かれており、日本浄土信仰の祖と位置づけられています。
地元の言い伝えによりますと、布教のため廻国中であった教信上人は貞観8年(866年)88才をもって千草で入滅しました。教信上人の庵のあった加古郡野口の里人が遺体を引き取りに来たのですが、千草の人々は名残惜しんで引き渡さずに争いとなり、翌年国吏の裁定が下り、頭部を野口に送り骸(胴体)は千草に葬ることになったそうです。
西蓮寺の千草念仏は、かつては旧暦の3月9日から15日まで盛大に行われていましたが、現在は4月第3日曜日に行われています。 |